形骸化した祈り、因習となった祈りには命が通わない その祈り言葉には手垢が付いている 神は単なる飾りものになっている 上辺では神を信じていると言いながら その実、神を求める気も受け入れる気もない 死んだ祈りには神ならぬ思い凝りの徒なる神が寄り付く…
悟りを開いているという評判の先生に訊いてみた... ー先生、あなたにも悩みもあるのでしょう? 「無い!」 ー一つも無いんですか? 「無い!...私には煩悩は無い!」 ーそんな境地になるには厳しい修行をしてきたのでしょう? 「いや、そういう修行をすると…
「神様の中に思いを入れることは、思いを超えるということなのです」(五井昌久「神様にまかせきる」/白光出版刊) 私がここで宗教、霊性の道について書いていることは、五井先生のこの言葉、著書のタイトルに凝縮されていると言っても過言ではありません。 …
毎度のことながら、“意識を神に向ける“ということを言っています。 ということは、神はその意識を向けることに先立ってある、ということを言い表しているのです。 神という言葉にとらわれる必要は無いですが、その実体は分からないが、思いを超えたもののこ…
昨日は、あるホラー.コメディの映画を観て、久しぶりに涙を流して笑い転げてしまいました。スプラッターなグロい場面も多いのだけど、それ以上にシュールなギャグが利いてまして... え?...“人生の裏側“を垣間見たという、あなたでもそういう映画を観るので…
君は今日も現れなかった... どうしてるのだろう? どっかで幸福に暮らしているのだろうか、それとも... たまに現れた気配は感じるのだけれど... ああ...君の気まぐれで僕の心は一喜一憂... もし、ずっと君が来なくなったとしたら... 僕の一日が開ける気がし…
人は皆幸福を求めて生きているものです。 しかし、人生には幸福もあれば不幸もある。苦難、不幸を求めている人は普通は居ないでしょう。今は苦しくとも、その先にある幸福を見据えていたりするものです。苦しみは避けて生きようとすることは、人間の自然な在…
宗教、特に仏教では、禅などは自力の、念仏などは他力の道とに分けられているのです。これに準じて、他宗教でも瞑想修行に関わるものは、前者、祈り、帰依に関わるものは、後者のように捉えられているようです。 私は、あまりそのように図式的に捉えている訳…
いつもつい揚げ足を取るようなことを言ってしまう、私とちょっとした縁のあるT画伯ですが、そのブログの最新の記事でも、あれこれ考えて、例えば“宇宙は陰陽の相克から生まれるエネルギーで成り立っているのは確かだ!“、それに即して生きるには、“衣食住を…
私がいつも書いていることは、とても現実離れしていて、取っつきにくく、難しく感じられるかもしれません。 どうか分からないことは、無理に分かろうとせずにスルーして下さい。頭で分かるようなことは、あまり書いていないのですから!... 実践的なことに関…
“意識を向ける“、とかいつも言っていますが、これはかなりいい加減なものなのです。何に向けるのか、と言ったら意識にですよ。向けるというより向いてしまう、というのは、この何か二つあるような意識というのは、元々分けられないことを言っているのです。…
私はこれこれのことが出来る これこれのことが分かった これこれの境地に達した... スピ界隈にはこんな言葉が蔓延しているようだ 相応に出来ることも、分かったことも、達することもあるだろう... しかし、現実の自分の在りよう以上に人に見せよう、認めても…
宗教やスピリチュアルの教えでは、苦しみや悲しみの感情が、いや喜怒哀楽のすべての感情が起きて来た時には、“そういうのは、スクリーンに映じられたようなものであって、現実世界のことでは無い“、などと言って、その感情の波に巻き込まれないように、囚わ…
前回の続きみたいですけど、やっぱり“これしかない!“、としか言いようがないもんで... 言葉では、これにつながるとか、これを忘れないようにするとか言いますが、現実には、これに思いを向ける、意識することしか無いのです。 祈りとか瞑想とかはありますが…
スピリチュアルの界隈のある人たちは、“〈これ〉につながりなさい“、〈これ〉を忘れないようにしなさい“、“とにかく〈これ〉、〈これ〉なんだ!“...なんてミもフタも無いことを説いたりしてます。ま、大体ノンデュアリアリティとか、ごちゃごちゃ、あれだと…
“意識を向ければ、神的なものが臨む...“と、いつも書いております。読まれる方は普通は同じように感じられるかもしれませんが、こっちは決して同じことの繰り返しのようには感じないのです。 それは、神の臨在に与るということ自体、直接経験に依るからとも…
「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ...」(シェイクスピア「ハムレット」) シェイクスピアの作品を一度も読んだことの無い人も、ハムレットのこの言葉は誰でも知っておられることでしょう。 しかしこの英語の原語、“to be, or not to be“から受ける響き…
「クレオパトラ それがもし本当の愛だとしたら、どのくらい愛してくださるのか教えてちょうだい アントニー どれくらいか言えるような愛は卑しいものだ クレオパトラ どこまで愛されているか、限界が知りたいの アントニー それじゃ新しい天と地を見つけなけ…
ああ...どうかその目を向けたもうな! 私を探さないで下さい 私はもうあなたに会わす顔がない! 私は許し難いことをしてしまった! あなたから離れたい、隠れたい! これはどういうことなのだろう? 愛...愛はどこに行ったのだ! あんなに愛していたのに... …
「真の人間を知ることは神を知ることと一つである」(五井昌久「神と人間」) 真に、古今東西のあらゆる宗教、霊性の道は、この言葉に凝縮されていると言えるでしょう。 真我、神を知ることは、頭脳知として知ることでなく直感知、直接経験として知ることであ…
五井先生について、どうしても触れておきたいことを書かねばなりません。 五井先生は、言わずと知れた有名な新宗教の教祖であったのですが、私には最初に深く共鳴した宗教家、教師であり、又そうした表面的な有り様を超えた、私の心のマスターとも言えるよう…
神の臨在 すべてを照射する光 大いなる命 原初的ハタラキ (ダメだ、一言にしないとなるまい)愛... ああ...言葉にしたらどうしても抽象的になってしまう かくも厳然、現前と感じられるものなのに... 超越にして内在 個にして普遍 ああ...又しても! 感じられ…
人生には苦難が付きもの... 精神的な教えでは、苦しい感情と同化しないように、フカンして離れるようなことが説かれる でも、理屈は分かっていてもそうならない、出来ないこともある いつの間にか、苦しみに囚われ、支配されてしまうことだってあるだろう そ…
「仏法には明日といふことこれ無く候」(蓮如上人) 私がちょいと知っている例の画伯は、思考マインドを超えて無や空の境地になるには祈りが一番いい方法だと言います。40年以上もずっとそういう意識の下で祈りらしきことを続けていたらしいです。 だけど、こ…
ご利益を叶えてもらうための神参り 神はご利益を叶えるために使われる 悟りを得るための修行に神の力が使われる 修行のための修行... 信仰も対象としての神が使われる 信仰のための信仰... 神も知らないようなドグマが信じられている 信仰団体を大きくするた…
夜中に何かとても迫るようなものを感じました。 夕方、久しぶりに雷が鳴ったからという訳でもないでしょうが、ビリビリと電気に打たれるようなあの感じ...それが私の内なるものを照らし出すように... そこに照らし出されるものは本当の自分、真我...かどうか…
我々日本人には、旧約聖書においては神はやたらと怒り、言うことを聞かないと裁き、滅ぼしてしまうという、恐ろしい存在としてイメージされているようです。 手島郁郎先生の息子さんであり、旧約聖書やユダヤ思想の研究者の手島佑郎先生によると、ユダヤ教の…
人間存在の在り方は、通常肉体と精神で成っていると理解されています。いつも言うように意識の領域があることはあまり理解されていないのですが... あるスピ的な教えによると、肉体、思考と結びつく幽体、より微細な霊体とに分かれていると理解されています…
私は、何度も意識を神的なものに向けるとか向けられると言って来ました。 人はなんであれ何かに意識を向け、向けられ、善かれ悪しかれそれ相応の人生を歩むものです。 しかし、ここで神に向けるというのは、そういう諸々のこととは根本的に違うものなのです…
ここ最近、私の生活にちょっとした変化があります。私の生活はいつもある生き神様へのお供えと共に始まります。この生き神様は目に見えるのですよ。朝、どこからともなく現れるのです。こっちから近づこうとすると離れてしまう。ずっとこの微妙な距離が保た…